物語を楽しめるゲームと、物語だけを楽しめるものとの違いとは何なのかを考えてみる

自分にとってゲームは十分趣味のひとつと言えるものですが、それ以上に物語を楽しむのが好きという個人的な趣向があります。そこで物語を楽しめるゲームと、映画やドラマなど物語だけを楽しめるものとの違いや面白みの違いは一体何なのかについて改めて考えてみたくなったので、この題材にしました。



ゲームの中の物語


RPGをはじめとしてゲームの中に物語が含まれているものは多々あり、ゲームという場におけるプレイヤーの働きかけを通しての達成感と没入感により大きな感動を得ることがありました。
ではその中の物語部分だけを抽出したら同じくらいの感動が得られるのだろうか? という疑問が浮かんだことがありました。

以前(大分昔のことですが)物語が楽しめて、更にゲーム性まであるゲームは映画やドラマ。小説アニメ漫画などの既存のエンタメを超えたものかもしれないと思っていた時期がありましたが、そこから更により多くのエンタメ作品に触れる度に徐々にゲームと他のそれらは別のもので楽しみ方も違い、単純にゲーム性などのある一側面だけで比較することは出来ないという認識が深まっていきました。

それぞれの作品ごとに一番合った。あるいは一番楽しむのに適した媒体があり映画には映画の。ドラマにはドラマの。他のものにもそれぞれ特徴と利点・欠点があって、ほとんどのものはあらかじめちゃんとその媒体で最大限楽しめるように考えて作られており、どれも長年支持され根強く残っていることに気が付いたからです。

ゲームが他の媒体と異なる部分


ゲームが他の媒体とは明確に異なる部分としたら、それは受け手が介入しその結果を得ることができるインタラクティブ(双方向)性だと考えます。

このインタラクティブ性により、物語なりその世界に介入している感覚が生じますがあらかじめその範囲は決められています。
その介入できる範囲の広さと種類が自由度になりますが、ゲームの容量も作る労力も無限ではなく、そもそもプレイヤーの操作はすべて想定してプログラミングされているので、あらかじめ決められた範囲での介入となります。

この範囲が狭く自由度が低いとやらされている感が出てしまうのではと思ったこともありましたが、ノベルゲームの選択肢システムに初めて触れた時は、すっかりその考えを改めました。

提示された選択肢の中からプレイヤーが好きなものを選び取るという単純なものですが、その後のルート分岐であったりマルチエンディングなど。選択肢もいくつかのものを複合的に判断されていたりと。

おまけにもしあの時あの選択を選んでいたら……と。誰しもが過去を振り返えることがあるように、何を選び取るかという判断を下すことの重要さを改めて感じさせてくれたりもしました。

選択肢以外のゲーム性


物語が主体になっているノベルゲームは純粋に物語を楽しむことが出来る反面、選択肢以外のゲーム性を付随するのは難しいのではないかという認識がありました。

しかしながらそんな浅い認識をすっかり覆されたと思っているのが、チュンソフトの『街』というゲームでした。
これは元となる物語自体が抜群に面白いだけでなく、ゲーム性としても選択肢に細やかなTIP。更にザッピングという目新しいシステムがあり、プレイした当時本当に衝撃を受けました。

しかし何より個人的に一番のゲーム性を感じたのは、続きの話を読みたいというモチベーションに突き動かされるように、あれこれと考えながら能動的に物語を追っていく過程でした。こうして苦労の末見たエンディングのムービーは大きな感動の記憶として自分の中でずっと残っています。

余談:選択肢の面白み


少し前にSteamで遊んだある海外製の経営シミュレーションゲームの中にノベルパートがあって選択肢が出てきたのですが、このうちのひとつが若干ストレスを感じる選択肢でした。

例えばあるものについて問われた時に

好き・嫌い・どちらでもない

とよくある形で問われたのならおそらくほとんどの人はどれかの選択に当てはまるかと思われますので、特に何も思うところは無いのですが出てきた選択肢が

〇〇という理由からこれは嫌い・△△という理由からこれは嫌い・××という理由からこれは嫌い

という問いかけで、自分の場合それが特に好きな訳でもありませんでしたが、やや強引だったのでどれも選びたくないなという小さなストレスを感じました。
またその問いかけに移る流れも物語の進行上あまり必然性の感じない納得感のあるものではなかったので、余計にそう思ったのと同時にこういった問いかけの選択肢を見たのは初めてかもしれない、という新鮮な驚きがありました。

メインのシミュレーションゲームは面白くてやりごたえもあり、ノベルパートはあくまでおまけ的なものなので決して文句を言いたい訳ではありませんが、個人的に勝手に新鮮に感じたので書きたくなってしまいました。

こちら(製作者)の望む結論へと誘導する手法


この選択肢の出来事に似たものを前にどこか見たような気がしたので、記憶をたどってみるとまさにズバリのものがありました。


続きの後編

このおおよそパターンとしては

・送り手は答えを明確に提示しない

・送り手は受け手に対して常に誠実で公平中立的な立場であることを装う

・しかしそれまでに提供されている材料はすべて、あるひとつの方向性を有している

・結果受け手が自動的にひとつの答えにたどり着く構造となっている

・受け手はそれを自力で導き出した結論と錯誤する

というなかなか功名な手口ですが、特にその分野に詳細な知識が無い門外漢であったりすると、単に権威という肩書だけを見て簡単に言説を鵜呑みにしてしまうこともあるのではないかと思いました。様々な深刻な問題点が暴かれてから昨今NHKという枕詞がついただけでも眉をひそめられることも随分と多くなりましたが。

例えば仕事や家事など忙しい毎日を送っていると、日々の報道などについてなかなかすべてきちんと真偽を精査できないこともあるかと思いますが、発信している人間または属している組織の背景や立ち位置。人となりは判断材料としてあらかじめそれとなくでも知っておいて決して損はないかと思います。

是々非々も大事ですが、結局人物像の評価はこれまでの言動と行動の結果で決まるものなので、上辺だけの聞こえの良い甘言に騙されないようにしたいものです。

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