創作モチベーション維持方(後編) ストレス原因を取り除いてやる気のリーク(漏れ)を防ぐ
ストレスには様々な悪影響がありますが、もちろん創作・制作活動も例外ではありません。一般的な話として多くの人が感じやすいストレスというのは、どんなものがあるのか。自分が体験したストレスとその対処法の一例をセットでご紹介してみます。
ストレスと上手く付き合い、上手くいなすには
普段の日常生活において何かしらの種々様々なストレスを受ける訳ですが、気分的なものがやる気やモチベーションに直結する制作・創作活動においてはこういったものをより注意深く観察し感じ取る感覚は割と大事なことではないかと思われます。
つまり小さなストレスに敏感になろうということですが、あまり気にしすぎるとかえってそれがストレスにもなるので、この時だけは集中したい。作業を一気に進めてしまいたい時。よりよいものを作りたい、という時だけなど。局面ごとに使い分ける工夫もまた重要かと思います。
もちろん、普段から小さなストレスを見つけなるべくそれをひとつひとつ潰していこうというのも、日々の生活の質の向上には効果的かもしれません。
意外と気が付かない、多くの人が感じる日常のストレス原因とは?
あくまで自分個人の場合ですが、ふと例えば一日の中でどんなストレスがあるのだろうか振り返った時に見つかった意外なストレス原因がありました。
ストレス自体としてはあまり大きいものではありませんが、小さいけれど割と長くしつこい。なんとなく靴の中に入った小石のような鬱陶しさに近い感じです。
しかもそれに触れる度に徐々に堆積していくようになっていました。
となると結構なストレスとなっているのに、意外とそれが原因とは認識されていないと感じたもの代表格ではないかとはたと気が付きました。
それは何かといいますと、日々のニュースです。
なぜ日々のニュースがストレスとなるのか?
例えば何かしらの事件が起こった時に、それを報道するニュースというものがまるで一部を全体かのように誤認させるような色を帯びることが多々あるなと感じました。
またその傾向をあえて利用するような言説も同時に生まれるパターンもあります。
例を挙げると、犯人は毎日ご飯を食べていました。だからご飯を毎日食べている人は犯罪者です。といった話ですがこれはよく聞く皮肉の一種ですが、上手く言い表しているように感じました。
つまり特定の年代。性別。職業。地域。環境。趣味嗜好などに対し揶揄。批判的。批難したり貶めたり、という意味合いを持たせている場合があるということです。
しかもものによってはやたらに攻撃的で、ひとつの結論(極論)に誘導的な内容のニュースも多々あります。
そんなネガティブなニュースを目にした時に、例え自分がそのニュースの何らかの内容に該当していなくとも、もしこれに該当する人がこのニュース聞いたらかなりイライラするか、落ち込んだり、嫌な気持ちになったりすることもあるだろうな、と感じるものばかりだったからです。
余談ですが特にネットニュースや、まとめサイトなどはこの過剰なあおりにより誤認させる傾向が更に顕著なので、よくネットニュースが胡散臭いと言われる原因は割とこういったところにあるのでは推察します。
テレビはニュース以外もストレスになりやすい?
ニュースが多くの人にとってストレス原因になることに気が付き、その視点で改めてテレビを見るとニュース以外のものも結構なストレス原因になることが分かりました。
というのも、テレビにおいては報道に限らずバラエティーなどでも特定のかなり偏ったニッチな価値観を押し付けられることも多いので、大多数を占める普通の人の価値観を持っている普通の人の感覚には異質でストレスとなる構図です。
それは当たり前の話で、テレビに出ている芸能人等は人口からした数パーセントにも満たないかつ、かなり独特な価値観で形成されている閉じた社会であるので言わばかなり小さな閉鎖的ムラ社会と似ており、それがまるで世の中の常識のように主語を大きく語られると多くの人にとっては結構なストレスになるのは明白です。
近年若者がテレビを見なくなったという話をよく耳にしますが、こういった偏った価値観を無理矢理押し付けられるストレスを直観的に感じた自己防衛の一種ではないかと推察します。
ましてやそんな小さな画面の中の小さな社会のことよりも、現実に関わっている身近で支えてくれている人。あるいは支えている人達。世の中には色々な日常生活を支えてくれている大事な仕事をしている方たちや生活インフラを維持する仕事等に従事している方々に目を向けた方がよっぽど自分にも利することを気が付いているからなのかもしれません。
もう一方で若者の自死と因果関係がありそうにも感じます。というのもテレビでこれが当たり前だと流布しているもの。あくまで例えですが、お金持ちは華やか。貧乏はみじめ。いい大学。高収入こそが正義。痩身は美しい。こういったものがカッコいい。かっこわるい。ダサい。こういった人間が良心的。良識があるなどなど。ある言説は称賛され、ある言説は批難される。このような主張と自分の状況。現実とのギャップに苦しんでしまうということも十分以上にあるのではないかと推察します。
ある程度の年齢を重ねていけば、メディアが展開する価値観や言説はあくまで一つの意見。観点に過ぎないということが分かりますが、まだ経験の浅い若者はどうしてもそれが全てと極端な勘違いしてしまいがちなのかもしれません。
また、テレビは創作のネタ集めの手段のひとつとして見るのはありだとは思いますが、最初に目的をはっきり決めずにただ漠然と眺めているだけだと時間に対する費用対効果がかなり悪く得られる情報のコントロールも出来ないので、他のスピードが早く情報を取捨選択できる媒体に比べてあまり創作に活かすのにはあまり向かないように思えます。
上記の問題に対する対処法としては?
いっそテレビを捨てる、というのは極端に感じますがあるとついつけてします。だらだら見てしまうという方にとっては有効な方法かもしれません。
ニュースに関しては深入りせずヘッドライン程度にとどめるか、偏りの酷いオールドメディアには頼らずきちんと自分が信頼できるところからの情報に限定する。
各種の専門分野に関しては既存のニュースでは明らかに不十分であるので、情報誌でもネット等でも質と量がある専門情報が得られるところを探す。
世間話としてニュースが必要かもという時は、天候の話と大差ない当たり障りのない話と変わらないので、そのような間を持たすような話をしなくても問題ない関係性を築けばいいだけなので、趣味であるとか何らかの共通の話題を作った方がよほどいい関係性になるかと思われます。
是非おすすめの方法です
ニュースから離れて分かったのは、積極的にニュースを見なくてもほとんど不都合はなく、むしろ完全に避けようとすると難しいもので、重要なものなら勝手に耳に入ってくるということでした。
後は無駄な消耗が減ったので、その分の気力を創作などの別なものに振り分けられるメリットがありました。