今後更に進化していきそうな創作系AIを個人的にどう捉えどう付き合っていくのかをなんとなく考えてみる
昨今創作にもAIの波が押し寄せてきていますが、今後AIは多大な恩恵をもたらすものとなるのか、役割を奪いさってしまうものとなるのか、果たしてどうなっていくのかを勝手に予想したり、個人的にどのようなスタンスで向き合うか一度改めて考えてみたくなりました。
それぞれの項目ごととしては
音楽
音楽に関しては割と恩恵が大きい分野なのかもと感じています。
ジャンルやテンポ。曲調などを設定すると自動生成してくれるものなどは結構前からありますが、ちょっと前に知って驚いたのは作った曲に合わせて自動的にEQやダイナミクスなどを調整するマスタリングをしてくれるものなどがあることです。
これは細かいこだわりを別とすれば、時間労力のリソースを大幅に節約できますし、エンジニアリングの膨大な知識がなくてもある一定ラインの仕上がりになるという優れものでした。とはいえエンジニア個人の感性や個性に代えられるものではないかもしれませんが。
AIでは人の感情ニュアンスがリアルタイムで反映される歌声そのものや楽器演奏。歌詞など、単に技法ではないパーソナリティ、アイデンティティ、作家性等の部分に代えられるものではないので、今後もAIはあくまで補助的な良きパートナーとなるように思えます。
文章
ショートショートの神様と呼ばれる星新一先生の「星新一賞」の応募規定では「人間以外(人工知能など)の応募作品も受け付けます」というもので、これは個人的に非常に面白い試みに感じました。今後人工知能からどのような作品が生まれて、どのような要素や部分が評価されるのか非常に興味深いものがあります。
とはいえどの単語をどのような基準で選び出し並べていくかの部分については、結構悩ましいのではないかと思えます。
仮にある作家のAIを作ってそれが書いたものを、作家が実際に書いたものと同じとみなすのは難しいというか、その作家の過去に書いた文章、語彙や癖を学習データとして最終的に出力されたとしても、そこには作家自身の判断が無く過去のパターンから予測しているだけであって、まるっきりAIの判定と同じように本人が判断するとはなかなか思えないからです。
あくまでそれっぽいものを作ることは出来ても、本人自身が考えて書くことの意味が強い文章というものにおいてはそもそも自動化にあんまり意味がないと言いますか、過去のデータではなく結局作家や書いた人自身の考えや判断にこそに意味があるものだと考えています。
誤字脱字チェックみたいなものがあったり凄く便利そうですが、この分野でAIが力を発揮する局面を見出すのは結構難しいのではと感じます。個性を出す必要が無いニュース記事などはAIでもよさそうですが。
イラスト
イラスト関係でもかなり恩恵はあるように感じます。
風景写真からそこに写っている人物を切り取って、その部分の背景を書き足せるものがあるのを知った時はかなり驚きました。
個人的には法的に問題なければ背景の自動生成は補助として取り入れたい気もしますが、個人の特徴が出やすいキャラクタなどの絵柄の部分に関してはそれはその学習データの人の(複数の人の絵柄のコラージュでも)絵柄であって自分の絵柄ではないし、今ある大体のイラスト生成AIがイラストを描くことではなく単なる方向性を示すディレクションでイラストを描く意味、個性を出すこと、描く楽しさなどが全部無くなるので利用する気はありません。
人から人に伝える心情的な面でいえば幼い自分の子供の描いた絵を職場のデスクに飾っている光景をドラマなんかで見たことがありますが、例え拙くても心を込め手を動かして描いたというだけで価値があるというか、もしAIでポンと出したものをプレゼントされたとしても、上記のものと同じ温度で扱えないように感じます。
もうひとつの作業的な面としては例えば何らかのゲームなりイラストを使うものを作る際に、こういうイラストが欲しいとイラストレーターに頼むことがまさに現行のイラスト生成AIすることと同じに見えます。
ここはもっとこうしてとかああしてなどの細かいディレクションを効かすのはかなり骨が折れそうだし、成果物についてこの部分はどういう意図があるのか? など細かい部分をつっこまれた時にそこはAIが判断したので、となると途端に説得力と訴求力が落ちる気がします。
現状なんだか誰かの個性をうまく拝借しているように感じるのもそうですが、まだ世間で是非やまだ多くの人が納得する決着がついていないうちに下手に使ったり紹介したりすると後々面倒なことになるのは明らかに目に見えているので、自分の考えは主張した上で今後どのような方向へ行くのか成り行きを見守ろうと思っています。
どうにも現状はAIによってイラストレーター業が厳しい方向に向かっているように見えますので、良い方向に行けばいいなとは思いますが。
とりあえずのまとめとしては
以前自分が書いた『2120』という電子書籍では、個人的な願望も入っていますがAIが現代よりずっと進化した百年後の未来であっても変わらず人が創作を続けていることとしました。
自動化により個性は曖昧に薄まっているけれどちゃんとした出来で短時間で大量に作ることの出来るAI産も需要があるし、個性が感じられるより人の手が加わったものに価値を見出す人もいてそれぞれ別の需要を満たしており、どちらかが淘汰されるのではなくすみ分けが出来て共に両立しているのではないかという考えからそうしました。
AIのような何かしらの革新的な技術が生まれたとしても、創作という人類の歴史とセットになっているようなものがいきなりぱっと無くなるとはなかなか考えにくいというのもありますが、人から人に何かしらを伝える創作行為や人が作った創作物を楽しむこと。それぞれの差異や個性を発揮表現することは人が元からもっている本質的なものの一部分であるように思えるからです。
今後どうなっていくのか? を勝手に予想
なんだかんだとAIは便利なツールであることは間違いないと思います。
今後進化し続けていくAIよって技法的な部分がどんどん高められ、差がなくなってくるとより他の面。作り手の個性や考えの部分などがより重要視されていくような気が漠然としています。